末端医師のつぶやき

うだうだ言うてます

医学生、お金の話(回顧録)

さて、前回の記事で学生時代に新しい聴診器を買わずにやり過ごした事を思い出した私。

医学部は一般にお金がかかると言われています。

よく浪人もして医学部に行ったよなあ。

予備校は入学金だけで授業料は免除されたので行けました。
そこまで成績は良くなかったと思うのですが何故免除されたのかしら??
当時の基準が甘かったんだろうなあと思います。
(その後、その予備校はつぶれたので)

大学も地方で一人暮らしを始めたのですが、やはりそこにもお金がかかります。
今振り返るとギリギリだったと思います。

なんとかなって本当に良かった。

 

必須なお金

もうね、遠い昔の話なので、ほんとザックリになります。

記憶もあいまいなのはご了承ください。

 

絶対必要諸経費として

入学金 70万くらい

学費(年間) 45万くらい?(国公立大学。6年で学費は270万円くらい??)
家賃(月額) 5万5千円


うちの家の状況を考えると学費も大変だけど、家賃55000円はギリギリだったと思います。
一応、女子ということで変なところに住まわせられないという判断を親がしてくれたことに感謝します。

あとは光熱費、ご飯代、遊興費、本代など。
本代は専門書になるので本当に高くってこれはつらかった。
他の友人と比べたら買うのを我慢していましたね~~。
(聴診器も我慢したわけです)

 

そんなお金をどう工面していたのでしょうか。

 

奨学金

育英会的な奨学金を2つ借りていました。
入学が決まってすぐに申請したところ、親の収入少ないおかげで無利子で借りることができたのは大きかったです。

A:16000円/月
6年間で1152000円。
(こちらは10年ほどで完済。)

B:35000円/月
6年間で2520000円なはずが返済金額は2415000円だった。
イレギュラーなことがあったのだろうか、わかりません。
(こちらは15年で完済しました。)

この二つの奨学金は年額60万ちょっとで、そのまま学費に回されました。
これがなかったら私は医学部通学・卒業は無理だったことでしょう。
奨学金の制度には本当に感謝しています。

 

②身内の援助

実家からは5万仕送りをもらっていました。
当時、すでに看護師として働いていた妹のおかげで5万円が捻出できたと聞いています(途中から7万になったかも。記憶が定かでない)。
妹には足を向けて寝られません。

それにプラスして途中から祖母から2万/月頂いていました。

 


☆お金がない理由を振り返る

うちにはなんであれほどお金がなかったのだろう。
母は子どもたちに徹底した節約を強いていましたし、母も内職やパートに勤しんですごく堅実でした。


まずは前提として父の給料が低すぎたのと扶養(兄弟が多い)が多いということがあります。
その上で、父に問題があったと思っています。
彼は自分の稼ぎが少ないにも関わらず、遊興費に結構な額を持っていってたからなあ。
どれくらい所得が少ないかというと、税金が非課税だったと記憶している。
高校の学費が申請して私だけ無料でした。
具体的な数字はわからないが(年収300万は確実に切っている)、非課税って…、めっちゃ貧乏じゃん。
(こんな状況でも貯金をしていた母、神か。)

父は福利厚生もない家族経営の工場で与えられた安い仕事は淡々とこなしていたが、副業とか転職とか自ら動くことはなかった。
現状以上に「いい生活にしよう」とか「家族を楽にしてあげよう」とかいう向上心がなかった。
自分の目の前の楽しみに没頭する人だった。

お金はあったらあるだけ使ってしまい、母にお金の無心をしていました。

パチンコと囲碁に使っていましたね。
それでいて自分は早々にリタイアしたがったし。
早くに働き始めた妹の稼ぎを当てにしたし。

書いていると腹立ってきた。
悪い人ではない、と思っていたが悪い人なのかもしれない笑。
今は疎遠になっていて、このコロナ禍で元気にやってるかなあと時々思いだします。
次会うのは家族の誰かが死んだ時だろうか、と思ったりしています。

 

③バイトに勤しむ

話戻して。

どうやってお金を工面したか…。
バイト代があります。
学生時代、色々やっていました。
普段は家庭教師、長期休みはそれにプラスして短期バイトなど。
でも無理な予定は入れなかったので(あっ、私も向上心ない)、そこまで多くなかったと思う。

私の収入は↓

5万(実家)+2万(祖母)+α(バイト)=10万ちょっとくらい?
(医学生終盤にはバイトもできなくなるので、その時に仕送りが7万になったのかもしれない)

ここから家賃光熱費食費+αを出していました。
バイトでいくら稼いでいたのか不明…。
3万くらいかなあと思っていますが、全く記憶にないわ。
長期の休みのバイトで賄っていたのかな。
長期のバイトも色々面白いのをやったのでまた機会あったらブログにしよう。

 

お金はないがまずまずの学生生活

基本、少ないお金でやりくりしていましたが日常においては辛いことはなかった。
毎日直帰して部屋に閉じこもって、あまりお金も使わなかった。
お金を使う習慣がなく、過度な節約などを意識せず。
お金がぎりぎりでやばいっていう記憶もない。
友人たちと旅行も行ったし(国内)、土日も実家に帰ったり。
私って結構すごい(自画自賛。お金を使うことを覚えた今だったら無理かも)。

でも周りが普通にしていた海外旅行はできなかったし、皆が持っていた車も持てなかった。
欲しい本はすべて買えなかった。
遊びもすごくセーブしていたし、クラブもしなかったです。
クラブは意外にお金がかかりますね、出来ませんでした。

私立の比ではないけれど、国公立の大学と言え、裕福な子たちは多かった。
彼らは特に悪気はないのだけれど、平気でお金のかかることを誘ってくる。
貧乏コンプレックスがあったので、お金がない事は誰にも悟られず、うまく隠していました。
同級生だった夫は私が裕福でないことに気付かなかったらしいのでうまく隠せていたようです。

でもまあ、総じて学生時代は概ね楽しかったです、戻りたくはないけれど。

 

 

思うところ

私はなんだかんだで恵まれていました。
医師になって人生変わりました。
今、経済的に悩んでいる学生にも道が開けてほしいなと思います。

 

私立の医学部なんて眼中にもありませんでした。
今は夫婦そろって医者ですが、こどもには「私立の医学部は無理だから医者になりたかったら、国公立でよろしく」と伝えています。
夫婦医者でも私立医学部行かせるのはキツイのです、私立医学部はとにかく高い。
今のところ、幸い??子どもは医者志望ではありません。